巻之九上　（抄）

河口　河海の喉口にして両所あり、一は安治川といふ、大川筋、土

　佐堀、蜆川等の下流なり、一は木津川にて、長堀、道頓堀、およ

　ひ西の方諸流、こゝに帰会す

　　　棹の歌　柳のつらゝ　解にけり　　淡々

　当津は、晴天には朝に東風ありて、出帆に便よく朝東風といふ、

　暮には西風に変する故に、入舩に便よし、爰を以て日本第一の大

　湊とす、さる程に、両川口には、諸国の廻舩つどひて、碇石を卸

　し、是より行李舩、哨舩を以て五穀雑貨を問丸に運送す、千石、

　二千石の海舶、水上に町小路を作たる如く、甚目醒し、偖風威の

　順不順、潮時の満干を考へ、朝に千艘の出帆あれば、夕に千艘の

　着舩あり、抑初春の乗そめより、歳暮の泊舩に至るまで、四時と

　もに賑わしく、新艘の舩おろしの出帆の送別、入津の嘉び、いづ

　れも競ひの祝ひ酒、新堀、幸町の旅舎に絃歌の声、囂しく、則ち

　むかしの川末の江口といふべし、

　　王子猷が図を見れば、一人棹さすあり、見せばやな難波入江の

　　壮に廻舩、湊をふさぎ、酒の舟鯨のふね、是は一ふしを諷ふて

　　ありく道の下寝には、しるしらぬ人の足手をさする

　　　客尽て　かへるや　雪の比丘尼舩　　　　来山

　此比丘尼舩といふは、両川口の泊の舟々を見かけ、三絃をひける

　女を小舩にのせ、棹さしよせて、伽やらふと云ひて、旅客を慰さ

　む故に、伽やらふ舩共いふ、或はヒンシヨといふ名義不詳、いに

　しへの江口、神崎、浅妻など、皆浦泊りにして、川竹の流れの女

　うき寝の床のあだまくら、浪のよる／＼舩さしよせて、思はぬ人

　に身をまかするも、斯るさまの世渡りなるべし、或人の狂哥に内

　証の櫂がまわらで、世わたりに憂川竹の伽やらふ舟、又勧進茶舟

　ともいふ、按するに、いにしへは、熊野比丘尼といへるもの多く

　ありて、延宝七年開板の難波雀に、熊野比丘尼七十一人とあり、

　寛政の末までいさゝか残りたりしが、終に絶て、今は更に見るこ

　となし、此者は、原熊野那智山実宝院の門下にして、剃髪の上に

　黒き頭巾を被り、常の衣服に幅ひろき帯を後にて結び、面には紅

　おしろいなどを化粧し、足袋にわらずをはき、左の手に文匣を脇

　ばさみ、右の手に柄杓をたづさへ、四五人つれ立来つて、家々に

　入て、めでたき小うたを諷ひ、米銭を乞ふ、又熊野の牛王を所望

　すれば、文匣より取出してあたへ、外に地獄変相の絵図をひらき

　て見せしむ、尚此縁起を説おわれば、礼物をうけて帰るなり、今

　世に菅笠の浅く平なるを比丘尼笠といふは、彼が平生にかふりた

　るよりして号くるなり、往古は貴賤ともに熊野権現を格別信仰せ

　しゆへに、斯る事もありしかど、後世このことも衰微せしゆへ、

　おのづから比丘尼も絶しなるべし、伊勢国にては、専ら有て昔に

　かわることなし、然るに、浪花において、比丘尼ありし時に、小

　舩にのりて、泊舩を見かけ、勧進して、米銭を乞ひしが、いつし

　かに、此者、乗客のつれ／゛＼を慰むることゝなり、行て終には

　形も還俗し、浮女にひとしくなりたるなり、然れども、其名はの

　こりて、尚比丘尼舟、又は勧進茶舟とはいふなるべし


　　
寺島

　　　江頭艙匠事経営　千斛洋舩数日成

　　　忽卜良辰始乗日　蓬窓招客沸歓声　　　　　荒井鳴門


　　　伽遣ふの　声もあわれや　川口に

　　　　　　つまよふ舩の　友なし千鳥　　　　　油縁斎

『摂津名所図会』（抄）
その１１












行李舩
うわに
哨舩
てんま







囂しく
かまびすしく



王子猷
王徽之
東晋の文人
王羲之の子





小西来山






浅妻
滋賀県

川竹の流れの女
遊女










文匣
ぶんこ











牛王
(ごおう)
牛王宝印の略
災厄除けの護符


















浮女
うかれめ






図は
『浪速叢書　第８』
より













荒井鳴門
(あらいめいもん)
江戸時代後期の
漢学者