『日本民俗学 第２１８号』 日本民俗学会 1999.5 より
考察の対象とする「第十四番梅田牛かけ粽の事」は、「牛の薮入り」とも称される。この習俗については、同じ浜松歌国による『摂陽落穂集』、『摂陽見聞筆拍子』があり、幕末には暁鐘成の筆になる『摂津名所図会大成』、明治半ば頃には、著者未詳の『浪華百事談』、昭和初期には南木生による郷土研究誌『上方』の記事がある。以下に、関連記事として紹介する。テキストの異同を確かめるだけでなく、本題「梅田牛駆け粽」を民俗事象のレベルとして捉えたいからである。
@「牛の藪入の事」：例年五月五日、梅田堤へ近在の飼牛に新しき鞍を置、肩にいろい ろの花を結び付て、引来る事その数を知らず、朝の五ツ時比より一時ばかり此辺の野 に放ち、やがて牛の心のまゝに駆けさせるを牛の藪入と呼ぶ、農人ちまきを数多持来 りて見物の人々へまきちらす、是を得てかへれば、小児のほうそうかろしと云ならし て衆人我人と拾ふも又一興なるべし、＜『摂陽落穂集』＞*13
A「牛の藪入の事」：例年五月五日の朝、北野梅田道にて､牛の薮入といふ事あり、近在の農夫、野飼の牛に色々の野花を角に結び付、野道に放ちやりて、牛の心の儘に遊ばしむる、是を牛かけとも言ひ、附添農夫見物の諸人に粽をあたふ、小児疱瘡かろくするまじなひとなれり。＜『摂陽見聞筆拍子』＞*14
B「牛藪入」：梅田道ニあり例年五月五日東雲より近在の農家に飼ところの牛に新しき鞍をおき全身を装ひ飾り角に種々の草花を結ひつけ此地に牽来りて此往還において一時ばかり牛をはなち心の儘にかけさせるなり是を俗に牛駈といひ牛のやぶいりといふ農家のこらず牽来るゆへその数おびたゝしくあげてかぞへがたし爾すれバ其年中牛の 病を除きて煩ふことなしとぞ又其農夫粽をあまた持来りて牛にくわせ其余ハ乞にまか せて見物の人々にあたふるなり是を得て小児にあたゆれバ 痘瘡かならず軽しとて衆人 乞ふことはなハだし浪花の一奇とす尤ところに限らす十三の辺ハ川岸の堤にて駈さするといへり然れども此地ハ浪花市店のつゝきなれバ世に其名高く聞ゆ／按ずるに五月五日百草の花を集め五色の鏤を以てこれを結束ねて家に懸け或ハ肱にかくれバ悪気をはらひ諸病を除き齢をのぶ是を薬玉と号し続命鏤霊綵絲綵索など書ること諸書に見へたり正しく牛の頭に草花を頂かせ装ひかざることハ是等の例によるなるべし／曾根さきや牛に鞭うつ菖蒲ぐさ 鷺笠 ＜『摂津名所図会大成』＞*15
C「梅田の牛駈け」：陰暦の五月五日の朝、梅田村にて牛の脊に新き鞍をおき、角をあ かね染めの木綿、又はうこん染めの木綿にて巻き、菖蒲つつじ其他の花をいろいろと結びつけ、農夫引きて堤に来ること数匹なり。而して此牛の引づなを放ち、堤の上を 牛の随意に駈けさせるなり。是を世人牛かけとも又牛のやぶ入りとも云ひ、今日農夫、粽を其処へ持きたり、見物人の群る中へ投げあたふ。これ天然痘をかるくする咒ひと て衆あらそひ拾ひ持帰るなり。明治以前は毎年あり、余も見物に行たりしが、今は有 かなきか知らず。 ＜『浪華百事談』＞*16
D「梅田の牛の藪入り」：今は絶えたが、明治初年の頃まで、北の梅田堤といへば現在 の梅田停車場より北の方向に堤があつた。春は一面に菜の花が咲き、げんげ、たんぽゝの摘草に賑ふた。この梅田堤の辺りで五月五日（旧暦の端午の節句）に付近の百姓 が集り、飼牛を野面に放して終日遊ばしてやる行事があつた。これを牛の藪入と称し た。当日は朝から業を休み、飼牛を装飾して、先づ角を紅白の布で巻き、頭上を躑躅、 菖蒲、牡丹その他の時候花で飾つてやり、牛の背には模様のある綺麗な敷物をかけ、牛を終日自由に解放して労り慰めてやる。又飼主の家では節句に当るので、粽を沢山 造り、当日集まつて来た見物人の群へ撒くと、人々は争つて、子供の疱瘡除けの呪禁 としたといふ。････＜『上方』＞*17
これらの記事を構成要素を単位にまとめると次のようになる。
《（１）五月五日の朝に（２）梅田堤・道にて（３）牛に飾りをして（４）遊ばせる。この時（５）農夫は粽を見物人に与え、（６）それが疱瘡のまじないになる。》
以下に、この習俗を他の地域での民俗事象と照らしてみよう。
《註》
*13 浜松歌国一八〇八年(文化五)『摂陽落穂集』第二 『新燕石十種第五』所載 一九一三 国書刊行会翻刻 三五五頁よりの引用。
*14 浜松歌国『摂陽見聞筆拍子』
同書所載 四四二頁よりの引用。
*15 暁鐘成一八五五〜一八六一年(安政年間五)『摂津名所図会大成』巻之十『浪速叢書』第八 一九二八年 浪速叢書刊行会 三二四頁よりの引用。
*16 著者未詳 一八九五年頃『浪華百事談』『日本随筆大成』新装版 第三期二所載 一九九五年 吉川弘文館 九四頁よりの引用。
*17 南木生 一九三一年「梅田の牛の藪入り」『上方』五号 表表紙の説明よりの引用。