『大阪春秋 第９８号』大阪春秋社 2000.3 より
日本の都市の多くが臨海部に設けられた。とりわけ、近代において臨海部は、重工業を中心とする産業の集中する空間となってしまった。白砂青松の光景は、小学校で習った唱歌の世界でしかなくなってしまった。
此花区に正蓮寺川がある。この川は、現在埋立工事中で地図上から消える日は近い。そこの川筋は、かつての都市生活者にとっての舟遊びの場所であった。かつて、この川筋には、阿波・讃岐出身の船大工がいて、そこには川筋の生業が息づいていた（注１）。そういった都市の郊外が工業廃棄物に汚染された「公害」の地となり、伝統的な宗教行事である川施餓鬼の舞台も変更を余儀なくされた。廻船人の目印の松が消えて久しい。風光明媚の河海は、臨海工業地帯と化した。急激な河川の汚濁は、正蓮寺川をもメタンガスを発生する腐敗した川にした。その結果、船上での法要と経木流しは臭気により修行不能となり、昭和四二年（一九六七）、川渡御を新淀川に移すことになったのである。川施餓鬼が正蓮寺川から新淀川に変更されたことは、祭場の喪失であって祭事にとっては重大な変更であった。おのずから川施餓鬼の儀式の組み替えが見られたのであった。しかし、それが現在、新淀川を祭場として参拝人・見物客を観光船に乗せて盛大に行われている。それは、「水」をめぐる民俗の変容であり、再生でもある（注２）。
一九八〇年代になってはじめて、「近代」によって汚された水辺空間の本来の意味が再評価され出した。昨今、頓に「親水空間」として見直され出している。どこの大都市圏においてもウォーターフロントの再開発が取り沙汰されている。今日、近代国民国家において成立したパラダイム＜水−商業−繁栄＜煙−工業−発達＞の功罪があらゆる側面において問われ始めている。
近世、海から街を望むべく設えられた行楽地「天保山」には大きな水族館「海遊館」が建設され、市中を一望できる大観覧車も出現した。天保山は、近世末、浚渫により成った航海の目印山である。そこは、『天保山名所図会』が天保六年（一八三五）刊行（注３）され、墨客粋人の遊ぶ行楽地でもあった。天保山公園は、しばらく、明治天皇観艦の聖躅碑などの立つ「近代の遺跡」に成り果て、市民から忘れられかけていた。それが、ようやく都市生活者にとってのレクリェーション空間・癒しの場所として注目されつつある。
いっぽう、大都市周辺のウォーターフロントの再開発には、問題点も多い。工場廃液や投棄されたゴミに含まれていた有害物質が遊園地建設予定地から検出されたりしている。天保山の対岸に計画されているテーマパーク・ＵＳＪ（ユニヴァーサル・スタジオ・ジャパン）がその一つである。その恐竜の森・ジュラシックパーク再現の場面の予定地に基準値を超える鉛・総水銀・砒素が埋まっていた（注４）。有害物質を含む残土でできた埋立地・人工島の上に遊園地やスポーツ施設をつくる計画からは、「近代の澱」が滲み出しているのである。このような事象は、オリンピック候補地・舞洲でも見られるきわめて今日的問題なのである。
臨海地帯が都市生活者のレクリェーション空間として再生するのには、いまだ不安が伴う。しかし、まちがいなく、「臨海」という言葉から「臨海工業地帯」や「臨海コンビナート」という言葉しか思い浮かばなかった私たちの想像力の欠如に、このごろようやく気づき始めている。臨海工業地帯は、科学技術を過信し、経済に「発達・繁栄」のみを追求した「近代」の所産でしかなかったのである。
昭和三〇年代前半、小学生の頃、習った社会科の教科書に「煙の都・大阪」とあった。校歌にも「煙の都」を称賛し、煤煙を「仁徳の竃の煙」に見立て、「民の賑わい」として謳歌していた。行政当局も、一昔前までは臨海部の工場誘致にあくせくし、経済的利便を図ってきた。しかし、今日、欧米諸国「先進国」に追随して科学技術の発展と経済的効果を優先してきた近代のパラダイムそのものの見なおしが迫られている。
大阪市は、人工島・咲洲に「大阪の海の交流史」をテーマに体験型の海洋博物館の建設を進めている。また「魅力ある水辺空間の整備」を謳って、舞洲地区・咲洲地区・矢倉地区での緑地や親水堤防等を整備、道頓堀川において湊町地区の水辺の遊歩道づくりなどを推進している（注５）。今や水辺空間のパラダイムは、＜水−自然−癒し・安らぎ＞に変換しつつある。当分、川筋・人工島といった水辺空間の近未来の動向から目を離せそうにない。
（注１）田野登 「川筋の生業の世界」『近畿民俗』 一五一・一五二合併号 六二頁 一九九八年 （注２）田野登 「川施餓鬼の都市民俗」『日本民俗学』 二一八号 七〇頁 一九九九年 （注３）森修編集『日本名所風俗図会』I所載 『天保山名所図会』 四一四頁 角川書店 （注４）大阪読売新聞夕刊 大阪読売新聞朝刊 一九九七・七・二三 （注５）大阪市計画調整局企画調整部政策調査課『大阪市まちづくりレポート'99』 九〜一〇頁 一九九九年